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無職系ライターのリアルな日々~日和見きなこ~

組織に属すということにどうにも耐えられなかった私は無職になり、フリーライターになりました。そんなダメな私の毎日の記録

英語を勉強しても話せない日本人。日本の英語教育はダメなのか?

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目次

 

はじめに

日本人は英語を中学から高校まで6年も勉強しているのに話せない。というのはよく言われる話です。その原因は日本人の英語の勉強がいわゆる「文法訳読法」に終始しているからなんだとか。

もっと実践的に会話を学ばせろー。センター試験にも会話を導入しろー。そんな動きも見られる昨今ですが、本当に現行の英語勉強法はダメなのでしょうか? この私、外国語大好きな無職と一緒に少し考えていきましょう。

 

そもそも英語を話せるってどういうこと?

私、実は英語を話すのはそんなに得意じゃありません。ただ、スペイン語は数年間本気で勉強したので、読み書きも含めて、普通の日本人から見ればペラペラと言って差し支えないレベルだと思います。

じゃあ、英語を話す、外国語を話すって具体的にどういうことか皆さんはわかりますか?

私は、反射だと思っています。

例えば「~しなければならない」という概念を言葉で口にしようとしたとき、英語なら "I have to"、スペイン語なら "Tengo que"という言葉がどれだけ思考とダイレクトに結びついているかということです。

そして、もっと難しいこのような文を話すとき

「私、昨日英語の勉強しないといけなかったんだけどさあ……めっちゃ面白いテレビ番組やってて全然できなかったんだよねえ」

 

まず、「~しないといけない」で時間をはっきりさせたいから「昨日」を口にして

Ayer tuve que estudiar ingles(昨日英語を勉強しないといけなかった)

これを喋っている間に、次の文章を頭の中で構成していく

pero no pude hacerlo por el programa interesante de TV.(でも面白いテレビ番組のせいでできなかった)

前の文章を喋っている時間というのは当然ごくわずか。でもその間にこれ言いたいなあ。って思ったことをポンっと頭ですぐに組み立てて、話す。話している間にまた作る。

外国語を話すっていうのはそんな感じなのです。

つまりだ、実践的な英語の勉強っていうのは付け焼刃じゃダメなんです。

覚えました→話せます

ではなく、覚えた単語や熟語を何度も使って日本語を介さずに概念から直接取り出せるようになって「初めて使える」「話せる」状態になる。

そんな勉強を学校の短い時間で日本語あふれる英語の授業でできるわけがないのです。

そして、英語を「話す」勉強が重視されるから文法から解放される。と思っている方。大間違いだよ?

 

「話す」は文法の先にある

私は先ほど、英語も含めた外国語を「話す」というのは反射だよと言いました。

ということは当たり前ですが、話すために必要な文法事項は全部頭の中に入っていないといけません。

周りの人たちの英語を聞いて自分も英語を喋れるようになる。そういうのは第二言語習得論という分野の人に言わせれば子供だけ。もっと言えば12歳以下の子供です。

それ以降の言語情報は脳の全く別の場所に保管されるので、自分の母語を介して文法を勉強して、話すという段階を踏まなければいけない。

つまり、「話す」という勉強には文法が必須なんです。そこをわかっていない方々は、ただ単に日本人は英語を話せない。じゃあ話す勉強をさせろー。と叫ぶ。

文法をちゃんとわからない人間が、それを使って話すという行為をできるわけなかろう。と私はモヤモヤするのです。

 

日本の英語教育はダメなのか?

では、ここまでを前提として、現行の日本の英語教育はダメなのか? ということを考えてみましょう。今現在日本で英語を勉強するとなると、教科書の英文を日本語に訳して間違っているところを見る、という「文法訳読法」が主流です。

この勉強法が文法偏重なんて言われて批判されていますが、先ほどまで話した通り、英語を話すというのは文法という基礎の上に乗っかっている概念です。

そして日本語と英語というのは文法的にも全くかけ離れた言葉ですから、当然それを一から教え込むのには非常に時間がかかる。

言うなれば話すための基礎固めをしっかりやっている。という状況なんです。

場合によってはそれだけで中学の三年間、そして高校の三年間を使うことになりますが、それはしょうがない。

ただ、それだけの時間を使う甲斐あって、とりあえず日本人の書く力というのはなかなか高い傾向にあるそうです。

「話せる」ことと正しい文法を「使える」ことは違います。英語を話せるという方でも、TPOをわきまえない不適切な表現や間違った文法を使っていることはよくあります。

まずは文法の基礎をしっかり固めて、その上で必要な人だけ会話の勉強をすればいいじゃないですか。

そして、思いがけず英語が必要になって突然会話を勉強しないといけなくなった人も、とりあえず文法の基礎があって、反射を鍛えるだけで話せるようになる。という日本の英語教育は決して間違っていないと思うのです。

 

会話重視の英語教育がもたらす弊害

では、最後に半義務教育として英語の会話を勉強させ、大学の試験にも英会話が課せられる。そんな場合に起こる問題を挙げておきましょう。

それはずばり、貧富の差の拡大です。

先ほども言った通り、英語の会話の勉強というのは言語的な反射能力を鍛えることです。

そしてそれは明らかに学校だけでどうにかできるレベルを超えています。

英語で面接などが課せられるようになれば、当然学習塾はその対応を始めるでしょう。

英語によるグループディスカッションや個人面接までお金と引き換えに手厚く面倒を見てくれるはずです。

塾に行けない子はそんな勉強できません。ますます置いていかれます。

今までの英語は文法という(一応の)絶対的正解のあるものが基準となっていましたから、引きこもりだろうと、ぼっちだろうと、内気だろうと教科書と参考書だけあればなんとかなりました。

でもこれからはそれじゃダメです。英語の面接や試験のために外部の教室に通わなければいけません。

学校の先生にお願いすればいいじゃないか! って思いますか?

言っておきますが学校の先生は英語を話せません。

学校の英語の教員になるにはTOEICで730点以上取るのが望ましいとされていますが

実際には平均すると500点台600点台しかないという話も……。

というか望ましいとされる730点というスコアも、英語を専門とする人間なら、え? と思うような数字です。

そんな方々が英語の会話を教えるなんてとてもとても……。

 

このように、会話重視の英語教育への切り替えには様々な問題がありますし、今後お金のない人はますます大学への入学が厳しくなっていくでしょう。

私はこのように色々な面から考えて、現在の日本の英語教育は決して悪くないと思っていますし、これからの方針転換は危険だとさえ思います

改革を考えるのは結構ですが、外国語の勉強はそんなに甘くはありません。会話も文法も中途半端になった結果、どっちもできないしょうもない子が増えないことを祈るばかりです。